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猛暑で売れる地サイダー、包帯パンツ…不振の百貨店に“にわか慈雨”

 猛暑が続くなか、百貨店の店頭では、“地サイダー”や“包帯パンツ”など意外なものが売れている。

 高島屋・日本橋店の食品売り場では、“地ビール”ならぬ“地サイダー”フェアが好評。宮崎県産のマンゴー果汁や日向夏果汁を使ったマンゴーサイダーや日向夏サイダー、長崎県の温泉地・島原半島のレモン果汁と水を使った雲仙レモネード、静岡県のわさびラムネなど、全国の地場飲料メーカーによる色とりどりのサイダー17種類をコーナーに並べた。

 値段は一本147〜351円とやや高めだが、レトロな感覚が中高年を中心に受け、予想よりも2倍近い売れ行きだ。

 7月16日からのフェア期間中は1日100〜150本と、通常の飲料より3〜4割多い販売実績を上げている。8月10日から月末までは場所を変えて販売を継続する。

 伊勢丹・新宿店では、男性用下着で包帯地のパンツが好調だ。価格は3500円前後とかなり高価だが、通気性がいいとの評判で、一週間に300〜350枚売れている。

 バイヤーの提案により今年から発売したもので、オリンピックに合わせて、世界各国の国旗の色を組み合わせるなど派手な色使いのものも用意した。

 東武百貨店では、Tシャツの機能性肌着が前年比20%増。やはり、2000〜2500円と高めだが、新素材を使い吸水性や発刊性に優れていることから人気で、「一枚目を買った人がリピートで2枚目、3枚目を購入することが多い」(東武百貨店)という。

 さらに、伊勢丹では2年前から店頭においている肌色の下着もシャツの上から目立たないと好評で、一週間で150枚と前年比2倍の売れ行きを見せている。

 男性用の帽子も売れている。西武百貨店・池袋店では、7月は前年比2倍売れた。売れ筋は7000〜1万円のもので、平日は20個、週末だと25〜30個売れている。特に梅雨明けした7月20日の週は例年の3倍の売れ行き。松屋・銀座店でも、7月は85%増だった。

 西武百貨店・池袋店の販売員は「お客さんに理由を聞くと、原油高のため自家用車の利用を控え、徒歩での外出が増えたため、日よけに買っていくという答えが多い」と話す。男性用で売れ行きがいいのは、「女性はすでに帽子やサングラスを持っているが、男性のお客様は今回初めて帽子を買うという人が多い」(西武百貨店の販売員)ことが関係しているようだ。

 伊勢丹のバイヤーは、「節約志向が強くなると、すでに持っているもので間に合わせるようになる。タンス在庫にない、目新しいものが売れる」と話す。
 
 ヒット商品が出る一方で、百貨店全体の売り上げは鈍いままだ。百貨店協会がまとめた6月の東京地区の百貨店の売上高は7・4%減で4ヵ月連続のマイナス。これは、昨年のセールが例年よりも早い6月末に始まったことによる期ズレの影響があるが、逆にそのぶんの恩恵が期待できるはずの7月も振るわない。7月の売上高は伊勢丹2・3%増、三越0・8%減、大丸1・3%減、松坂屋4・6%減、高島屋3・2%減、松屋1・2%減とマイナスが目立つ。

 高額品や婦人服の売れ行き不振が、全体売り上げの足を引っ張っているのだ。猛暑で売れている商品は単価の低いものが多く、特需と呼ぶには程遠い。“にわか慈雨”では売り上げ回復とはいかないようだ。

中国反日教育と歴史問題における日本の対応

◆日本の歴史教育の不味さ 近代史の位置づけ
まず日本人の歴史認識教育が低いのは事実。
さらに悪いのは日本人自身も近代史への関心がない。
教科書に書いてある内容が云々でなく、なにがあったか真剣に触れてない。
どうも戦国時代に力を入れがちで、近代史に力を割かないこともあるからかもしれないが、TVも本もゲームまでも戦国物は受けるが近代ものは受けない。(せいぜい明治維新がちょっとは人気があるくらい)
あらゆる機会で自国の歴史を知ろうとせず、国民全体にあまり知らないのが本当のところだ。

盧溝橋の名前と簡単な歴史すら知らないで北京観光する人が多くいるのは日本人の私でも流石に気が知れない。中国人がそれをみて明らかに不信に思うのは無理もない。

戦国や江戸を知らないことは教養的文化的には問題かもしらんが、近代史を知らないのは日本が国際社会で生きていくうえでは絶対に許されない。それが大きな問題をよぶ。問題だと思う。
特に第二次世界大戦前後の過程は徹底して教えるべきだ。
また我々もよく積極的に知識を吸収する必要がある

◆語学力とディベート力に乏しい 意見を言わない日本人
さらに、日本人は語学力が乏しく、ディベートにも慣れてないことから、一般人は特に議論をさける国民と思う。本来説明すべきことも説明していないことが多い。
中国人や欧米人は自分の知っている範囲でその見解が的外れ或いは一面的でも堂々と自分の意見を言う。この違いが少しづつ日本の主張が伝わらない原因ではないか。

◆中国の事実と異なる意見が容易に流布され間違って認識されてしまう例 【BBCのサイト】
典型的なものをみれるのが以下のサイトだ
http://news.bbc.co.uk/2/hi/talking_point/4436425.stm
英国のBBCが運営しているサイトで今回の反日運動についてどう思うのか意見を募集している。
まあ日本人の意見は少ない。なんだかあまり本質をついていない主張も多い。まあ語学&知識が足りないからだろう。
中国人もしくは中国系の意見は何しろ数か多い。数だけで間違いなく(印象的に)日本が劣勢であるイメージを他の国に対して植えつけるだろう。ただ中身は「日本は謝罪がたりん」とか「32万死んだのは忘れられん」とかそんな程度でまあ反日サイトに書いてある内容とさほどかわらずレベルは低い。
欧米人も書いているが、これが問題。所詮極東で起きている問題だからか本当に何も知らない人が多い様だ。我々がイスラエル・パレスチナで起きている問題をまったく判ってないのと同様かもしれんがこれはマズイだろう。
しかも中国人中国系よりコメントの種類も内容も多い多い。しかし 教科書問題=歴史を日本が歪曲して載せた とか ひどいものは「日本の首相が戦争を賛美した」そんなイメージでとらえて書き込むやつまでいる。第三者のパンチは堪える。これを読む欧米人は何を思うだろう?
たまーに日本に住んでいる外人がかなり的確なコメントをしているのに感謝したくなるが。数が如何せんすくない。面白いことに在中の外国人は記載がない。彼らが中国の本当の姿を攻撃してくれるとよいのだが。

他力本願ばかりでは何も変わらない。ことある毎に稚拙でもいいから自分の考えをちゃんと伝えないとおかしなことになる。明日から今日からでもはじめよう。

◆何を言えばいいのか?
日本が謝罪を繰返ししていること、賠償をしていることをまず説明すべき。
その上で起きている歴史問題(教科書問題)について説明すべき。
例えば、教科書問題で毎回問題になるのは南京虐殺の問題である。
その行為や被害規模について日中間で相当大きな開きがあり絶えず問題となっている。日本の立場は南京で中国人への迫害があったこと、これ自体は進駐している際に少なからず起きていると認識している。(勿論謝罪もしている)。
しかし中国側の主張は謝罪を要求しているのではなく、途方もない被害について認めろと言って来ている。彼らの提示した数字は根拠もなく多い。根拠資料も正直言ってない。ただただ巨大な数字が一人歩きしている。数十倍規模の差がある。
中国側に立っていくら考えても、当時の日本軍の規模と軍事力(弾薬数)では到底達成できない。多少のブレは兎も角、弾薬の数からみても到底ありえない。そんなに日本の装備は豊富ではなかった。(だから負けたのだが)
いくら話してもしょうがないので双方の研究者による歴史研究において確定させようと日本政府は考えて話をしているが、これは中国側に一方的に拒否されている。お前らは我々の話を聞かず被害を少なく主張して反省の色がないと。その上で、毎回「中国の主張と異なる数字を載せている。歴史を美化している」と毎回糾弾されている。日本は謝罪は心からするが、かといってそんないい加減な数字は認められないと主張し続けている。

とでも言えば少し判るはずだ。バイアスのない人なら。

■韓国中国に歴史研究を一緒に専門家同士で検証して、正しい史実をそれぞれの教科書に載せようと言っている
■それを拒否している中国韓国両政府
【補足】正確には韓国とは始まっています。成果はまったくあがっていないけどね。進まないようです。
【補足】中国への提案は会話ベースでした。今回は流石に正式に強く提案するようです
■中韓両国の教科書は明らかに史実をまげている。日本を史実を遥かに逸脱して悪く書き、抗日を合言葉にナショナリズムを植えつけさせる教育を行っている。正しい歴史事実を記載すればするほど抗日が目立たなくなる事を問題視していると政治的には考えられる。
■特に中国では、自国に都合の悪いことは書かない(文革ですらかかんのだから呆れる)のが中国の教科書。間違った歴史によって政府自身の正当性を高めたりするのに利用している。
従い、史実において記載しない本当の事が多い。史実の整理は好ましくないことも多い
■中国では市場経済導入による共産党支配の正当性に異議を唱える民衆の暴動を抑えるのに愛国主義を導入し、抗日(反日)こそが愛国という教育をここ20年以上行ってきた。依然として改めようとしない。
■すでに韓国に多額の賠償金を払っており、何度も謝罪したこと。両政府の声明まで行ったこと
■賠償金の金を政府が国民に説明しないままインフラ整備に使ったため、国民が自身に金をよこせ、政府がけしからんと騒いで対応に苦慮していること
■韓国政府は賠償金をもう受け取って使ってしまったことをはっきり説明できていないこと
■このため個人ではもう一度金が取れると虚偽の説明を韓国内にしているため、日本が個人補償を行っていないかの様に誤解されていること。
■中国にもODAを通じて巨額となる賠償金相当の行為を行っていること。
■その事実は中国政府によってはまったくといっていいほど国民に説明されていないため日本は何もしていないように見えていること。

など背景を含め説明していくと大体話はみえるだろう。

日本にも問題があることは事実。靖国問題は特に。
靖国問題は靖国参拝が問題ではなくてA級戦犯への問題とすると、日本人相手でも納得させることは長い説明が必要だし、説明できても完全にだれもが納得する様な結果にはならないだろう
いわんや外国人に説明して納得させられるわけがない

私は靖国が特別な場所であるという意見には同意したい。
故、別の場所で慰霊することは少々問題があることではないかと思う。
勿論それが宗教的・死生観の上で異論が巻き起こることもわかるが。

しかしA級戦犯の扱いについては残念ながら分祀した方がよいと思う。死んだら関係なくなるという宗教観も判らなくはないが、流石に通らない理屈だろう。
結果大きな誤解をうけるより甘んじて道理なり真情なりを変える方がずっと望ましい。

ただその上で彼らへの扱いについて以下のとおり反論すべきだろう
◆東京裁判自身に大きな問題があるということ
◆米国や連による第二次世界大戦非人道行為は謝罪されるべき行為
 例えば東京裁判と同様戦争犯罪に値する行為
 *広島・長崎の原爆 さらに東京大空襲 あれは民間人を対象とした大殺戮
 これは如何なる理由があったとしても関わった人間については裁判が実施されるべき   
 ソビエトのシベリア抑留と捕虜の不当な扱いについても同様
 ということは当然主張すべき。
 
先ほどの話に戻るが上記ぐらいはさらさら・・・と日本人なら言ってほしいな
これだけ説明すれば普通の人は一定の理解示すだろう。別に日本贔屓にさせる必要はないが、日本が押し黙ると彼らの主張が正しいものの様に感じでしまうものだ。
沈黙は美徳ではない。
主張だけ行って粛々としてればいい。主張を判断するのは個々人。それでいい。

結果、私は一般市民マスコミも誤った報道はしなくなると信じている。
引いては第三国から無用な攻撃を受けず、いわれのない糾弾の際は日本は間違いなく支持される様になるはず。

無関心を決め込むのは国民にとってマイナスだということを是非認識してもらいたい。

カルシウムの問題点

専門家を除いて、このホームページをご覧になったゲストの多くは、今まで栄養剤かストレス予防剤程度にしか考えていなかったカルシウムが、環境保全の世界でたくさんの利用価値を持っていることに驚かれたことと思います。しかし、一方では…

「何だかいいことばかり書いてあって面白くないなァ…」とか

「悪いところだってあるんじゃないの?…」といった

どこかスッキリしない不愉快な気分が残っているのではないでしょうか?

世の中に、いいことづくめはありません。したがって、カルシウムにも幾つかの問題点はあります!!

ホームページ開設1周年記念は、そのリクエスト(?)に応えることにいたしましょう…。いわゆる(愉快な)ア・ラ・サ・ガ・シです。と言っても本当のこと(仕方のないこと)ですから嘘も隠しもありません。悪いところを知って、善いところを活用する(そして、スッキリする?……)。ですから、今後のためにもジックリ読んで確認しておいて下さい。

このホームページに出てくるカルシウムは、ほとんどが「酸化カルシウム」(生石灰)です。「酸化カルシウム」は「炭酸カルシウム」(石灰石)を900℃から1000℃で焼成して製造しますが、「炭酸カルシウム」を1トン焼成すると、約600キログラムの「酸化カルシウム」になります。つまり(石を焼くだけで)重量的には約400キログラム(約40%)も減ってしまうのです。この減った分は、あの(温室効果ガスとして問題になっている)二酸化炭素です。

この二酸化炭素は、元々地球上にあったものを、大昔に(人類のために?)カルシウムが固定していたものです。ですからカルシウムを非難するわけにはいきません。しかし、掘り出して焼成する人類の方は大いに問題になります。

また、焼成のために使われる化石燃料(主に石油を使用します)は、「炭酸カルシウム」1トンあたり120リットル前後を消費します。そして、この化石燃料からは約300キログラムの二酸化炭素(化石燃料に含まれる炭素に空気中の酸素がくっつくので増えます!)が排出されます。したがって、廃棄物処理に利用する「酸化カルシウム」を1トン製造すると、二酸化炭素が約1.2トン(計算式略)排出されたことになります。つまり人類からみた「酸化カルシウム」という物質は、自重のほぼ1.2倍の二酸化炭素を排出することによって得られる“問題物質”…ということができます。

仮に、日本で1年間に焼却される可燃ゴミ約4000万トンに、ダイオキシンを発生させないために重量比で10%(約400万トン)の「酸化カルシウム」を加えて焼却した場合、それだけで年間480万トン近い二酸化炭素が増えてしまいます。

ちなみに、温室効果ガスの排出量は、一般に「炭素換算値」として算出します。これは、メタンやフロンなどと比較(合算)するために用いるもので、二酸化炭素の「炭素換算値」は、排出量の約27%(くっついている酸素を外した量)になります。ですから、二酸化炭素480万トンの「炭素換算値」は約130万トン。地球温暖化防止対策の基準になっている1990年(炭素換算値:約3億トン)の排出量に対して約0.4%増加することになるのです。

ダイオキシン入りの焼却灰をセメント原料として保管する場合は、「酸化カルシウム」の使用量は少なく年間110万トン程度、二酸化炭素の排出量は130万トン(炭素換算値:約35万トン)ですから、1990年比で約0.12%の増加(溶融の場合は燃料消費量だけで約0.7%の増加:当研究会試算値)になります。ちなみに、ゴミの焼却をやめてセメント原料として保管した場合は、炭素換算値で約190万トン(1990年比:約0.6%)増加しますが、現在ゴミの焼却からは約5%の二酸化炭素(炭素換算)が排出されていると見積もられていますから、こちらの場合はトータルで4%以上の二酸化炭素が削減できることになります。

なお、上記の増減幅の中には輸送や固化、保管などの段階で発生する(エネルギー消費に由来する)二酸化炭素の排出量や、(カルシウムを加えない)廃棄物の最終処分場から発生するメタンや二酸化炭素の排出量はカウントしていません。というのは、計算が煩雑になるのと、おそらく量的には相殺できる数値だろう…と判断したからです。特に、最終処分場から発生するメタンは、二酸化炭素の数十倍の温室効果があると言われている物質ですから、場合によっては「酸化カルシウム」の焼成による増加分まで吸収できる可能性があります。なお、溶融の場合は最終処分しませんが、燃料消費量以外に、施設の運転やリサイクルなどの段階で約50%(トータルで1%以上)は増加するものと思われます。

ところで「酸化カルシウム」は水と反応して「水酸化カルシウム」に変わります。そして、今度は二酸化炭素を吸収して元の「炭酸カルシウム」に戻って行きます。この辺がカルシウムの憎みきれない(?)要素になります。しかし(理論的には)排出した全ての二酸化炭素を吸収するものの、(現実的には)人類のモノサシを遥かに超えた長い長い時間がかかります。したがって、この効果はあまり期待できません。

ただし、カルシウムで固化した廃棄物をセメント原料として利用する場合は、(少なくとも石灰石に替わる部分については)二酸化炭素を排出しない原料となります。

次の問題点は、「酸化カルシウム」が水分と反応して発熱すること…にあります。実験室で(純粋な)「酸化カルシウム」と(純粋な)「水」だけを(完璧に)反応させると、300℃以上の熱が発生します。しかし、現実の世界ではそこまでいかず、100℃からせいぜい200℃といったところです。ただし、この程度の温度でも、近くに燃えやすいものがあれば発火しますから、火災の危険性は十分にあります。

このため「酸化カルシウム」は、つい最近まで消防法における危険物に指定されていました。現在は、安全な包装技術や保管技術などが確立されてきたために危険物からは除外されましたが、純度の高い「酸化カルシウム」だけは、ある一定量を長期的に保管する場合に限って、消防署に届け出る義務があります。ちなみに、このホームページで扱っているカルシウムは、「酸化カルシウム」の中に、ほかのカルシウム化合物を数種類混合したものを利用しますから、届け出の義務はありません。

だからと言って、火災の危険性がまったくない…というものではありません。また、取り扱いを誤ると、火傷をしたり、失明したりする危険性もありますから、注意が必要であることには変わりません。

次は(まだまだあります!)、「酸化カルシウム」が「水酸化カルシウム」に変化した場合のアルカリ性の問題です。「水酸化カルシウム」は(これも、理論的には)水に溶かせるだけ溶かすとPH12.6の強いアルカリ性を示します。しかし、廃棄物と混合した場合は、廃棄物に含まれる酸性の物質に中和されてPHは下がります。(処理直後は別として)PHが10以上になることは、ほとんどありません。またアルカリ性や酸性の物質というのは、水に溶けた状態のものを言いますから、乾燥状態の「水酸化カルシウム」はアルカリ性ではありません。ですから、問題が発生するのは、周辺に余計な水分があるときに限られます。

「水酸化カルシウム」(消石灰)は、酸性土壌の中和や軟弱土質の改良などに日常的に利用されている物質です。一般に、畑などの水分の少ない土に混合した場合、周辺の土壌に与えるアルカリ性の影響は、接触した外側の10センチメートルから20センチメートルの範囲です。また、軟弱土質などの比較的水分の多い土に混合した場合でも、影響が出るのは30センチメートルから50センチメートルの範囲です。日本の土壌はほとんどが酸性ですから、「水酸化カルシウム」のアルカリ性は容易に中和(これを土の緩衝力と呼んでいます)してしまうのです。ですから、この範囲の外側であればアルカリ性の影響は受けないことになります。ただし、皮膚などの人体に付着した場合は(程度にもよりますが)水で洗い流すだけでなく、酢を少量加えた「酸性水」で洗浄する方がベターです。

なお、重金属類を含む廃棄物や土壌に「水酸化カルシウム」を混合すると、アルカリ性によって多くの重金属類が(水酸化物を生成して)不溶化しますが、鉛や水銀などの一部の重金属類が溶出してくる場合があります。したがって、溶出量が環境基準をオーバーするときは「酸性水」で中和するか別な物質(主に硫化物)で固定する必要があります。ちなみに、アルカリ性による溶出が問題になるのは「水酸化カルシウム」だけを混合して、そこに接触した水のPHが10以上を保っているときに限られます。別に重金属安定剤(キレート剤といいます)を混ぜたり、混ぜない場合でもPHが10以下になれば溶出量は環境基準をクリアーします。参考までに、PHというのは10倍の水で薄めると1ポイント、100倍の水で薄めると2ポイント下がります。また、廃棄物の最終処分場の場合はPH8.6以上のアルカリ性の水は外部に流せないことになっています。

次(4番目)は、カルシウムは粉体か顆粒状で利用するので、空気中に飛散しやすい…という問題です。建設現場などで「酸化カルシウム」や「水酸化カルシウム」が利用される場合、多くはコンテナバックと呼ばれる1トン入りの袋から直接取り出したものを、重機等を使って露天混合しています。したがって、風の強い日などでは、周辺にこれらの白い粉が飛び散ることになります。最近、クモの巣状の粘着剤を混合した「飛散防止石灰」なるものが開発されていますが、これは周辺に民家などの多い場所で局地的に利用されるものです。

カルシウムを廃棄物処理に利用する場合は定置式になりますから、この問題はあまり大きくはなりません。カルシウムは専用のサイロに保管しておき、外側にカバーのついたスクリューコンベアーと呼ばれる圧送装置を使ってミキシング装置に定量供給します。このミキシング装置にはダストキャッチャーと呼ばれる粉塵除去装置が併設されていますから、混合段階でカルシウムが飛散することはありません。

廃棄物は(水分の多いものを除いて)ある程度水分を含ませてからカルシウムと混合します。したがって、ミキシング装置から排出された直後は、ドロドロした状態になっています。これをストックヤードで2〜3日養生(乾燥・固化)して、決められた保管施設まで搬出することになりますが、この段階から飛散問題が発生します。と言っても、廃棄物の表面に付着しているものが(はがれて)飛び散る程度ですから、量的には僅かなものです。ですから、表面に時々水分を供給するだけで飛散は防止できます。

なお、カルシウムを混合した廃棄物は、適度の水分がなければ固化しないので、乾燥させすぎないようにすることが大切です。もちろん、保管施設では雨水などを貯めておき、マメに散水することが重要な作業になります。ちなみに、散水量は表面がシットリするくらい多めに与えるのがコツです。

5番目はスケールの問題です。スケールとは簡単に説明すると水垢や湯垢のようなものです。カルシウムを多く含んだ水をヤカンや鍋の中で沸騰させると、内側に半透明の薄い膜がこびりつきます。温泉地などでは、よくお湯の出てくるところに白い沈殿物が溜っているのを見かけます。これらは主に「炭酸カルシウム」の結晶ですが、温泉の場合は泉質によって「硫酸カルシウム」であったり、ほかの「カルシウム化合物」であったりします。

このスケールが問題になるのは、水処理の世界です。処理水のカルシウム濃度が高いと、設置した水処理施設のあらゆる場所に付着します。このため配水管が目詰まりを起こしたり浄化装置の計器類が作動しなくなったりします。最悪の場合、(安価な)配水管は交換することができますが、浄化装置の方はデリケートで高価なものですから、頻繁に取り替える、というわけにもいきません。したがって、配水管から浄化装置に入る前に炭酸ガス(二酸化炭素)を吹き込んだり炭酸ソーダ(炭酸ナトリウム)を加えるなどして、処理水に含まれるカルシウムを沈殿除去しています。

ちなみに、廃棄物の最終処分場の場合は、カルシウムのほかに浄化装置を腐蝕させる塩素の除去も必要になるため、ほとんどが炭酸ソーダを利用しています。ですから、処分場の処理水には少量の「塩化ナトリウム」(食塩)が溶け込んでおり、舐めると少し塩っ辛い味がします。

水処理の専門家の間ではスケールの問題は(技術が確立されているために)それほど重要なものではありません。処理水に含まれるカルシウムの濃度が増えると作業が煩わしくなる…という程度の認識ですが、かと言って(敬遠はされても)歓迎されることではありません。特に最終処分場の場合は、地下に埋設された配水管を交換するとなると大変な作業になりますから、完全な嫌われ者となります。ただし、カルシウムによって浸出水に含まれる重金属類やダイオキシンの濃度が減り、スケールによって汚水漏れのリスクが軽減される(シートの破損を修復する!)ことは(密かに?)認めているようです。

最後は、天然の資源である石灰石を利用するために、自然環境(といっても、多くは「石の山」ですが)を破壊してしまうことです。現在、日本の石灰石は、セメント原料として1年間に約1億トン採掘されています。鉄鋼関係や建設、農業、公害防止関係では約2000万トンが採掘されていますから、合計で約1億2000万トンになります。したがって、ゴミの焼却をやめてセメント原料として保管すると石灰石の採掘量は約8%(計算式略)増加することになります。しかし、保管施設を緑化して、新たな自然環境を造り出すことは可能です。

このほか、(石灰メーカーに注文する以外は)手軽に入手しにくい…といった問題や(セメントに比べて)固化するのに時間がかかる…という問題などがありますが、カルシウムの問題点としては、ほぼこの6点に集約できると思います。

ところで、廃棄物処理の場合は「酸化カルシウム」のほかに、「珪酸系のカルシウム化合物」(高炉スラグ)や「硫酸系のカルシウム化合物」(石膏)なども利用します。しかし、これらのカルシウム化合物はほとんど無害な物質ですから、特に問題となるようなものではありません。ちなみに、この2つの物質は廃棄物(工業系の副産物)を利用したリサイクル製品を使います。また、「炭酸カルシウム」(石灰石の微粉末)も、石灰メーカーが石灰石を洗浄したときに排出する「石灰石水洗ケーキ」を利用することができます。

元々廃棄物処理に利用するカルシウムですから、バージン材である必要はありません。またカルシウムは煮ても焼いても無くなりません(逆に、鍛えられて元気になります!)から、何度でもリサイクルして利用することができるのです。……いけない!、また(不愉快な)自慢話し?になってしまいました。

当研究会としては、できることなら「酸化カルシウム」もリサイクル製品(エコ・カルシウム!)を利用したいと考えています。このホームページを熟読された方であれば、その方法は簡単に理解していただけると思いますので、ここでは、あえて解説はいたしません(ズルイかな?)…。実は、この方法は石灰を大量に使う「製糖工場」では、昔から常識的に利用されている技術ですが、この場合は、別に焼成炉が必要になってしまう…ということが欠点になるかも知れません。

なお、これらのカルシウムの問題点をどう捉えるか…。それは、ゲストのみなさんの、それぞれのご判断に委ねることにいたします。

お肉を食べないで植物性タンパク質を摂取せよ!!

 米中枢同時テロの前日、わが国に未曾有の衝撃が走った。狂牛病の疑いがある乳牛が見つかったのである。直ちに英国獣医研究所に検体が送られ、これが狂牛病であることが確認された。感染源はエサである肉骨粉であることは、ほぼ間違いない。

 肉骨粉は主に牛のエサとして欧州や豪州から年間20万トンが輸入されていた。ところが欧州を初め世界各地で狂牛病が見つかり、肉骨粉が感染源であることが判明していた。平成8年(1996年)には英国から欧州への肉骨粉輸出が禁止されるなど、世界中でさまざまな措置が取られるようになっていた。

 ところがわが国では、「牛に与えると狂牛病となるが、ブタや鶏に与えても安全」ということで、豪州、アルゼンチンなどから肉骨粉が輸入され続けたのだ。そして最近になって山形県の酪農家が肉骨粉を牛に与えていたことも判明した。

 さて、ご存じのことと思われるがここで狂牛病について記しておこう。狂牛病とは正しくは「牛海綿状脳症」。牛の脳にスポンジ状の穴があいて運動神経に障害が起き、死に至る病気。1980年代に英国で初めて発見された。タンパク質の異常体「異常プリオン」がその病原物質とされる。英国、フランスなどでは狂牛病に罹った牛を食べた結果 、致死性痴呆症の新型ヤコブ病(CJD)患者が100人以上も出ている。潜伏期間は2年〜10年以上とされ、今後欧州では患者が多発する可能性がある。また、当初は牛だけが罹るとされていたが、ブタ、鶏、羊、さらに最近では鹿の感染も見つかっている。

 牛乳や乳製品からは感染する可能性はほぼ無いとされるが、結論は出ていない。さらに骨髄や脳、肝臓だけではなく、肉の部分のほぼ全部が異常を発生させると考えられる。ウイルスや細菌ではなくタンパク質が異常を来す病気であり、治療法は無い。

 いったいこんな病気がなぜ日本に入ってしまったのか? 水際での侵入防止に失敗したことが事実であり、本来なら農水省が責任を取るべき事態である。薬害エイズの裁判で元厚生省課長(松村明仁被告)が有罪判決を受けたと同様、農水省幹部も裁きの場に出れば有罪となる可能性も高い。しかし、どう考えても今回の場合、明らかに農水省に圧力がかけられたとしか思えない。狂牛病が世界的な話題となっているにも関わらず、肉骨粉が輸入され続けた事実こそがその証拠でもある。

 では、農水省に圧力をかけた極悪非道の人間は誰か? まったく不明である。ただし事情通 はこう語る。「農水省に圧力をかけて肉骨粉輸入のOKを出させるなど、並の政治家にはできない。相当な実力がある政界の大御所クラスだろう」。そしてこの事情通 から出てきた具体的な名はM・S、H・Nといった超大物。ただしこれは、あくまで推測の上に推測を重ねているに過ぎない。

 問題はむしろ、今後の対処法にある。

 いったい、どこまでが安全でどこが危険なのか? ところがこれがまったく歯切れが悪い。9月29日には国会で有志議員が「牛肉を食べる会」を開催して苦笑を買ったが、この問題の深奥にあるのは同和問題なのだと言われている。と畜から解体、食肉といったこの業界には同和関係者が多数入り込んでいると言われるが、そのことがさまざまな風評、憶測を流す結果 となっているようだ。

 では、真実はどうなのか? 本紙は病気の専門家ではない。だが永田町関係者を含めたいわゆる政治情報通 は誰もが、「一切の肉類は当分食べないほうが良い」としている。さらに最も危ないものとして、一般 に知れ渡ったブイヨン、カレールウ、カップ麺以外にもインスタントラーメン、あるいは食品添加物とされるアミノ酸含有食品があげられている。なかには「ブタや鶏は大丈夫」とタカを括っている人もいるが、これらはずっと肉骨粉を飼料として与えられてきたのだ。安全なはずがない。

 それでは、狂牛病に罹った牛やブタ、鶏の肉を食べたら絶対に狂牛病(新型ヤコブ病)に罹るのだろうか。そうではない。その確率は極めて低い。では、罹る場合と罹らない場合の差はどこにあるのか? 人体に存在しているタンパク質の質の問題だとされる。すなわち、「良質な植物性タンパク質」によって作られたタンパクを多く含有している場合、発病する率が下がるというのだ。

 良質な植物性タンパク質――それは、われわれ日本人には極めてお馴染みのものである。味噌、豆腐、納豆……。肉食を止めて大豆製品に頼る生き方。われわれ日本人の先祖たちが好んだ食生活を取り戻す絶好の機会が到来したのである。

世の中の問題が複雑化して短い記事では説明不足

 今ほど世の中が複雑でなかった頃は、物事の白黒がハッキリしていた。善し悪しの判断は、多くの人の意見が異なることは少なかったし、考えなければならない範囲も狭かった。あまり悩まずに、たいていの問題で結論が出せた。ところが現在の社会では、多くの問題が複雑になっている。
 このように変化した大きな理由は、人々の価値観の変化とテクノロジーの進歩だ。人々の価値観の変化では、まず人権の尊重が挙げられる。人種、性別、年齢による差別の撤廃、プライバシーの保護など、昔なら重視されなかった考え方が登場した。何をするにしても、人権を無視した形では世間から認められない時代になった。法律やルールを作るときや、メディアでの言葉の使い方など、いろいろな面に影響を与えている。また、体の一部が不自由な人への配慮も、機器や建築物を設計する際に考えるようになった。加えて、従業員の不当解雇やイジメなどが問題とされるように変わってきた。全体的に見ると、みんなが人間らしく生きることが、以前よりも尊重されている。
 テクノロジーの進歩に関しては、大きく2つに分けられる。1つは、いろいろな技術が発達して、正しい知識が増えるとともに、多くのデータを測定できるようになった。地球環境の保護などは、いくつもの技術が進歩したから判明したものだ。さらに、医療技術の進歩により、脳死といった特別な状態が起こったり、出産前の遺伝子検査なども可能になった。これらは新たな問題を引き起こしている。もう1つは、コンピュータやネットワークの発達である。情報が簡単にやり取りできることで、重要な考え方や視点が広く伝達できる世の中になった。外国などの別な世界を知ることで、自分たちの地域のやり方が本当に正しいのか考える機会を提供する。また、重要な意見が世界中に伝わりやすく、短時間で人々に大きな影響を与えられる。
 以上のような理由で、1つの問題で考慮すべき項目数がかなり増えている。公共事業なら、有用性や採算性だけでなく(これすら満たしていない場合も多いが)、環境保護を重視したり公正な入札を求められる。メディアの記事でも、以前よりも正しさを要求されるし、プライバシーの保護も考慮しなければならない(日本は先進国の中で遅れているが)。新しい問題である出産前の遺伝子検査は、体に障害がある人への差別という側面を持っている。寝たきり老人の看護では、社会がどの程度までサポートするべきか、簡単には決められない。
 以前から存在する問題は、人々の価値観の変化によって考慮すべき点が増え、前よりも複雑になった。問題自体は同じだが、昔は今よりも無知だったので、簡単に済ませていただけだ。新しい問題は、テクノロジーの進歩により出てきたもので、以前からある問題よりも難しい要素を含む傾向が強い。価値観の変化とテクノロジーの進歩という2つ影響で、多くの問題が前より複雑になっている。
関連知識を一緒に提供しないと内容の理解が難しい 世の中の問題が複雑になると、内容を適切に理解するためには、関連する多くの知識が必要となる。起こった現象を表面的に伝えただけでは、問題の本質を分かってもらえない。対象となる問題に関して、考えられる多くの視点で検討する必要があり、検討した部分まで含めて説明しないと、納得できる記事にはならない。
 問題に関係する視点にも、短い説明で済まない内容が増えている。たとえば、人権尊重の1分野であるプライバシーの範囲が、具体的にどの程度なのか、簡単には説明できない。いろいろな例を紹介しながら解説するので、かなり文章量が必要となる。他の視点も同様で、多いものだと単行本で数冊の分量にも達する。
 ただし、視点に関する説明が多いと言っても、似たような問題で共通な知識なので、毎回説明する必要はない。簡単に参照できる仕組みを用意して、必要な人に見てもらう方法がベストだ。知らない人は最初に読んで理解し、知っている人は知らない部分だけ読めばよい。その意味で、本来の記事から簡単に参照できる提供方法が求められる。
 視点に関係する知識では、満たすべき重要な条件がもう1つある。世の中は刻々と変化するので、それに合わせて更新しなければならない。記載していない新しい事例が出たとか、未検討の項目を追加するとか、新しい技術やデータによって基準が変わったとか、内容を最新の状態に保つ作業が発生する。それを怠ると、安心して使える知識とはならない。手間は大変だが、地道な維持管理が求められる。
 これからの記事は、以上のような条件を満たす形で作成しなければならない。全体の説明量がかなり増えるとともに、個別の記事だけで提供する方法自体が、確実に時代遅れになりつつある。
既存媒体よりもオンライン媒体が適する こうした問題の変化にも関わらず、新聞や雑誌の記事は、昔と同じ書き方をしている。1つの記事に割り当てられる分量は、昔と変わっていない。記事を読むのに必要な知識も、積極的に提供しようとしていない。
 雑誌の場合は、特集として取り上げて多くのページ数を割り当てられるので、新聞よりも少しだけ有利だ。それでも、説明すべき内容の量と比べれば、ページ数はまだまだ足りない。繰り返しの説明を減らす苦肉の策として、小冊子を付けて参照しやすくする例もあるが、入れられる量が少ないので効果は不十分だ。また、たいていの記事は初心者を考慮するので、同じ内容を何度も繰り返してしまう。多くは初心者向けの基礎知識で、それ以上の知識へ進むことは非常に少ない。
 テレビの報道番組も基本的には同じだ。ごく一部の番組だけは、特集として比較的多くの時間を割り当てる。それでも、問題の複雑さに比べれば、まだまだ十分ではない。雑誌と同様に、どの番組でも初心者を考慮するため、初心者レベルの同じ内容を何度も紹介してしまう。全体としては相当な時間を使っているが、知識の充実には結びつきにくい。
 このような状況を打開するには、新しい媒体を利用するのが効果的だ。ネットワークを利用したオンライン媒体が最適で、もっとも有力なのが、現状ではウェブページであろう。文章量を気にせずに書けるので、必要なだけ詳しく説明できる。さらに、好きなときに追加できるため、書き終わったら一部だけでも公開が可能だ。いち早く情報を提供し、だんだんと追加しながら充実させる方法が使える。
 もっとも有効なのは、関連する知識の提供だ。リンク機能を利用することで、関連する知識を簡単に呼び出せる。両方を一緒に表示しながら読むことも可能だ。また、価値観や評価の基準が変化する現代においては、常に最新版を読める点も大きなメリットである。小冊子や単行本を用いて、古いままの知識を参照する失敗も防げる。
 全体的に見てオンライン媒体は、現代の問題の質に適したジャーナリズムの道具といえる。それに比べて、既存媒体は欠点が目立つし、その程度は日増しに大きくなっている。オンライン媒体で購読料を取れる仕組みが用意され、読める機器を持つ人が増えれば、普及の条件は整う。
オンライン媒体でも整理した書き方が重要に オンライン媒体が普及してくると、今度は記事の書き方が問われるようになる。人々がオンライン媒体に慣れるに従って、オンライン媒体に適した書き方を求め始めるだろう。
 現在のオンライン媒体は、既存の媒体と同じ方法で記事を書いている。執筆時点で判明した内容を、独立した新しい記事として追加する方法だ。毎日更新する記事なら、その日に分かった内容を、独立した1つの記事として書いて加える。この方法だと、一連の記事を毎日読んでいて、それを覚えている人には理解しやすい。しかし、途中から読み始めた人や、後で参照する人にとっては、全体像が見えなくて読みづらい。
 この欠点を解消するには、少なくとも、テーマの全体像を的確に把握できる方法が必要だ。現実的な作業まで考慮すると、毎日の記事とは別に、全体を整理した記事を別に用意する方法が考えられる。エレガントではないが、最小限の手間で済ませられるメリットは大きい。理想的には、もっと別な良い方法があれば、それを使いたい。
 全体像を見せる記事が提供できた場合でも、一度公開した過去の記事を残す必要がある。間違った情報を流した場合、記事を訂正するとともに、間違い情報の公開自体を記録として残さなければならない。間違い記事をそのまま残すかどうかは議論の分かれるところだが、何らかの形で失敗自体も公開し続けなければならない。この点は、日本のメジャーなジャーナリズムが大きく欠けている点で、早急に是正が求められる。これをしない限り、ジャーナリズムとは呼べないのだが...。
 オンライン媒体に適した記事の書き方は、多くの人が模索する中で生まれると思われる。というより、生み出さなければならない種類のものだ。オンライン媒体は既に存在するのだから、最適な記事の書き方を模索してほしい。現在は、何でも試せる時期なのだから。

テーマ : 政治・経済・時事問題 - ジャンル : 政治・経済

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